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東京高等裁判所 昭和26年(う)2330号 判決

控訴人 被告人 狩谷正之

弁護人 内田弘文

検察官 田中政義 野中光治関与

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金千円に処する。

右の罰金を完納することができないときは、金弐百円を壱日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判の確定した日から弐年間右刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

論旨第三点について。

しかし、原判決の挙示する証拠を綜合すれば、被告人が原判示のごとく柴田こま方墓地の入口においてその内部に向い暫時放尿する格好をした事実を認めるのに十分である。なるほど本件における重要な証人であるところの武田せつの供述は捜査の段階におけると原審におけると当審におけるとで若干ずつその内容が変つてきている。しかしながら、それにもかゝわらず同人の供述は少くとも被告人が前記のように放尿の姿勢をしたのを目撃したという一点において信用するに値するものであり、しかも、本件においてはさらに信憑力ある証人武田典の供述がこれを裏付けているのである。これに反し、被告人に有利な所論狩谷敏夫、狩谷すい、久保田政夫らの供述はにわかに措信し難く、その他一件記録を精査検討してみても所論のように原判決が虚無の事実を認定したものとは到底考えられないから、論旨は理由がない。

論旨第一点について。

論旨は、墓所に向つて現に放尿すれば格別、単に放尿するがごとき態度を示したというだけでは刑法第百八十八条の礼拝等所不敬罪を構成しないと主張するのである。思うに、同条は、国民の宗教的崇敬ないしは死者に対する尊敬の感情を害する行為を処罰するものであつて、そのいかなる行為がこれに該当するかは時代によつて同一ではないであろう。しかしながら、今日のわが国の公衆一般の感情としては、特に清浄を保つべき場所たる墓所の区画内において放尿するがごときはなお明らかに墓所の神聖を穢すものと観念されるのであつて、このことからさらに推して考えるならば、たとえ現実には放尿しなくとも、放尿するがごとき格好をすること自体、見る者をしてその墓所に対する崇敬の念に著しく相反する感を与えるものといわなければならない。ことに本件においては被告人はかねてからの柴田こま一家に対する悪感情の発露として、「畜生意地がやけら、小便でもひつかけてやれ」といいながら右の行為に及んだというのであつて、まさしく右墓所に対し侮辱的行為をすることにより柴田こま一家に対する侮辱の念を表現しようとしてかかる動作に出たものであること明白であるから、それだけに右の動作はその放言と相まつて一層これを見る者の宗教的感情を傷けるに十分であつたと考えることができる。してみれば、本件の行為は一般国民の宗教的感情を著しく害するものというべきであつて、原判決がこれを前記礼拝所不敬罪に問擬したのは正当だといわなければならない。論旨は、かかる行為まで処罰することはいわゆる神がかり的信仰を助長するもので民主主義に反するという趣旨の主張をしているが、いやしくも国民の正当な宗教的感情一般を保護することは国家の任務であつて、民主主義国家においてもこのことはなんら異なるところがないのである。論旨は理由がない。

(その他の判決理由は省略する)

(裁判長判事 大塚今比吉 判事 山田要治 判事 中野次雄)

控訴趣意

第一点原判決は罪とならない事実に対し刑法第百八十八条を適用したのであり従つて法令の適用に誤りがあつて其の誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破毀されたい。

原審は被告人が柴田こま方の墓地の正面入口の門の中央辺に進み寄り墓地の内部に向ひ暫時佇立し恰も放尿するが如き態度を示したる事実を認め之に対し刑法第百八十八条を適用処断したのであるが仮に被告人が右の如く放尿するが如き態度を示したことが事実であるとしても単に夫れ丈で現実に放尿をしない限り墓所に対する不敬の行為をしたものと謂ふことが出来ぬものと考へる。成程大審院の昔の判例には単に放尿するが如き態度をすれば墓所に対する不敬罪が成立すると云う趣旨のものがあるかも知れないが日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏を為して以来既に満六年にならんとし其の間連合軍総司令官であつたマックアーサー元帥初めアメリカ及び英国等各指導官が旧来の悪習であつた日本人が余りにも神様や仏様を神がかり的に尊敬してやがては国の元首である人間天皇迄も現神等と称して神様扱ひを為し其処から一部の軍人や政治家が神様化された天皇を利用し権力を掌握し専政的封建的な軍国主義が生れ国を誤らしめた点を指摘され、日本人の脳裏から軍国主義の温床となるべき神社仏閣を余りにも神がかり的に尊敬するの悪習を各種の命令を以て禁止し日本人に真の意味の民主主義が如何なるものであるかを示した今日に於ては軍国主義華かなりし時代の前記判例は何等の価値なきものと謂はねばならぬのであります。

従つて終戦六年を経過し米英等各指導者の力により真に日本人が神がかり的な信仰習慣を是非共離脱せねばならぬ今日に於ては単に他人の墓地の前で放尿をするが如き態度を示したからとて之を以て直に墓所に対し公然不敬の行為ありたるものとして之に対し刑法第百八十八条を適用するのは誤りであると謂わねばなりません。従つて原審判決は罪となるものと認め刑法第百八十八条を適用したので之の点を於て誤りがあり破毀されねばならぬものと存じます。

第三点原判決には事実の誤認があつて其の誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破毀さるべきであります。原審は前述の如く被告人が柴田こま方墓地の正面入口の門の中央辺に進み寄り「畜生意地がやける小便でもひつかけてやれ」と放言し乍ら墓地の内部に向い暫時佇立し恰も放尿するが如き態度を示した事実を認め之に対し証人武田典及武田せつの原審公判廷に於ける供述を以てしたものであるが証人武田典の原審公判廷に於ける供述によれば母武田せつは武田典より約十五分程遅れて現場に到着したことが明かであるし十五分も歩けば普通の人間では少く共五六町は歩けることは公知の事実であるから武田せつは現場から遥か手前に居たことが明かとなり従つて被告人が柴田こまの墓地の前で放尿するが如き態度を示して居たことを見ることは出来ぬこと本件記録中の検証調書に照し明かであるし又本件記録綴付の武田せつの司法警察員及検察官作成の供述調書に於ては右せつは被告人が放尿して居るのを見たと供述して居るのであるから右せつの供述は常に一貫せずぐらつひて居り之を措信すべからざるものであること明かであるし右武田典も司法警察官及検察官作成の供述調書に於ては被告人が放尿したところを見たと供述して居るのに、公判迄に於ては放尿するが如き格好をして居たと供述して居るのに過ぎぬのであるから右典の証言にも一貫性がなく信用出来ないことは明らかであるし却つて事実の真相は被告人の原審に於ける供述及証人狩谷敏夫、同狩谷すい、同久保田政夫の証言を綜合すれば被告人が単に豚屋の人等に小便でもひつかけてやり度い様だと放言したのを傍に居た武田典が聞いて自宅に帰り之を針少棒大に誤り伝へたのが元となり被告人が柴田こまの墓地に於て放尿したと武田せつが流布し歩いたので之れが本件事件となり武田せつ一家も今日となつてはぬきさしならなくなり強ひて以上の如き虚偽の事実を原審公判廷で云ひ張つて居るものと認めるのが正しいのではないかと思ひます。従つて原審判決には事実の誤認があり破毀さるべきである。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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